2012年4月29日日曜日

"まさし"のダイビング&世界を旅して - イタリア縦断駆け足の旅


"まさし"のダイビング&世界を旅して - イタリア縦断駆け足の旅
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1. はしがき
イタリアの北部、ミラノからローマを経て、シチリア島パレルモに至るイタリア縦断の旅の概要です。走行距離約3,000Km、訪問都市11ヶ所、所要日数12日間でした。ある目的で、一部の都市を訪れても、数日を要する見所多いイタリアですが、駆け足で短期間にイタリア全土を縦断するのも、一つのおもしろい見方ができるものです。

2. ミラノ
ミラノの二つのアート、ゴシック建築の最高傑作ドゥオーモに始まり、レオナルド・ダ・ヴィンチの名画「最後の晩餐」に至る歴史的遺産は、ヨーロッパにおけるキリスト教の歴史の一端を物語っています。

ミラノの中心は、ドゥオーモ広場、この一端にそびえるゴシック建築の代表傑作であるドゥオーモは、幾百もの尖塔が天を突き刺すようにのびています。400年の長い年月をかけて完成したもので、堂々とし、また荘厳な佇まいです。内部は非常に広く、ひんやりした薄暗い荘厳な空間にいますと、ここが一大ビジネス都市のど真ん中であることを忘れさせてしまうほどです。天井は高く、仰ぎ見る美しいステンドグラスは見るもののため息を誘います。

広場に接して、アーチ型ガラス天井のア ーケードがスカラ座広場に通じています。これはミラノを象徴するヴィイットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアです。1877年に完成し、アーケードの天井付近の絵画、舗道のモザイク模様などいずれも見事なものです。

スカラ座広場には、オペラの殿堂、スカラ座があり、1946年に再建され、内部にはスカラ座博物館があり、楽譜、衣装などが展示され、劇場の内部をのぞくこともできます。

スカラ座広場から北西へ400m行ったところに、ミラノ北駅を背にスフォルツァ城があります。1446年完成。中は市立博物館、考古学博物館となっていて、ミケランジェロが死の数日前まで制作していたという未完の「ロダニーニのピエタ」は必見の塑像です。
城の裏には、センピオーネ公園があり、奥にはルイジ・カニョ ーラの設計になる新古典様式の華麗な凱旋門が望まれます。

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に付属する修道院の食堂にあるレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は世界遺産として有名です。これを鑑賞するには、前もって予約をしなければなりません。

3. ヴェネツィア(ヴェニス)
ミラノからヴェネツィアまで約280Km、途中「ロミオとジュリエット」の舞台としても知られるヴェローナを経由してアドリア海に抜けると、ヴェネツィアに到着。

ヴェネツィアの中心はサン・マルコ広場です。正面にサン・マルコ寺院、その右にドゥカーレ宮殿、その前にある翼のあるライオン像はヴェネツィアの守護神、これと並んで聖テオドール像の塔が立っています。

サン・マルコ寺院内部は美しいモザイク画で飾られ、中央祭壇の後にあるパラ・ドーロはこの寺院を代表する宝物で、宝石類がちりばめられ、美しい。
ドゥカーレ宮殿の内部は評議員の部屋、大会議室等があり、ティンレット、ヴェロネーゼなどのすばらしい絵画で飾られています。2階大評議の間 にあるティンレットの「天国」は7x22mもあり、世界最大の油絵といわれております。
宮殿内部の階段を下りるか、河岸に面したパリア橋から見える橋は「溜息の橋」といわれ、宮殿の地下牢につながっており、この橋を渡ると2度とこの世に戻れないといわれ、橋の小窓からこの世に別れを惜しみ、ため息をついたといわれます。

サンタ・ルチア駅とサン・マルコ広場の間を二分して逆S字に蛇行する約3800mの大運河の船旅は楽しいものです。由緒ある建物が水際に立ち並び、それらを埋めるように立ち並ぶ古い館がコントラストを描いており、ヴェネツィアらしい風景を堪能できます。

4. ピサ
ヴェネツィアからイタリア半島を斜めに横断し、イオニア海に面するピサまで330Kmを南下する。 ボローニヤからオリーブや糸杉の木々が点在する なだらかな丘陵地帯を抜けると、ピサです。
ピサは斜塔の町として、あまりにも有名です。この町の見所は国立美術館をのぞいて、斜塔のあるドゥオーモ広場に集中しています。広場には有名なピサの斜塔、そのすぐ左に大きな白いドゥオーモ、続いて円形の建物の洗礼堂が広々とした緑の芝生の上に調和をとって建っています。

ピサのシンボルでもある白大理石の美しい柱列で囲まれた斜塔は、ドゥオーモの付属鐘塔として、1173年着工されました。今も傾きつつある この塔の高さは北側で55.22m、南側で54.52mと その差70cmあります。倒壊防止工事が長い間続けら� �ていましたが、2001年12月から再公開されています。


ドゥオーモはピサ・ロマネスク様式の最高傑作です。1068年から50年かけて建てられ、白大理石の大伽藍は周りの風景に調和して美しい。正面は四層の列柱で飾られ、正面や入り口の扉には、ロマネスクの像が並んでいます。奥行き100mの内部は白と黒の縞模様で飾られ、壮大で明るい。中央の説教壇は六本の柱と彫刻で飾られた五本の支柱で支えられ、中央には信仰、希望、慈愛を表した彫刻があり、その劇的な構成と人体のゴシック的表現は圧巻です。

洗礼堂は美しい宝石箱ともいわれ、12世紀半ばから15世紀にかけて建造されたもの。中に入ると大きな洗礼盤があり、体を水につける浸礼のためのもで、珍しい。この内部の圧巻は、説教壇のすばらしさと、この内部空間 の音響効果のすばらしさです。

5. フィレンツェ
ピサから東へ100Km行くと、フィレンツェに到着。
「花の都」フィレンツェには、今もルネサンスの華やかかりし往時そのままに、馬の蹄の音が聞こえてきそうな細い路地と、ルネッサンスの栄光に輝いた建築や絵画が残っています。

フィレンツェはウッフィツィ美術館がルネッサンス美術のすべてが展示されていることで有名ですが、この町のハイライトはなんといっても花の聖母教会ドォーモでしょう。

旧市街の中心地、ドゥオーモ広場には、堂々とした威容を誇るドゥオーモ、白とピンク、緑の大理石で造られた八角形のサン・ジョバンニ礼拝堂やジョットの鐘楼が並んでいます。

ドゥオーモはフィレンツェの象徴であり、白、ピンク、緑の大理石の幾何学模様で飾られた美しい大聖堂で� �。1436年に完成し、八角形の内陣の上に高さ107mの巨大なクーポラが載った大聖堂は、奥行き153m、最大幅90m、約3万人が一同に会することのできる大きさです。華やかな外側とは対照的に、内部は絵画や美しいレリーフで飾られています。

洗礼堂はドゥオーモ前の8角形の建築で、ドゥオーモ同様美しい大理石で造られています。三つのブロンズ扉が出入り口になっていて、特に東の扉はミケランジェロが「天国の扉」と名付けた素晴らしいもので、人々の手に触れ、今では扉全体が金色に輝いています。

その他、今でも行政の中心、シニョリーア広場は、ヴェッキオ宮殿と沢山の彫刻が並ぶ彫刻廊からなり、さながら屋外美術館のようです。ここからウッフィツィ美術館を抜けてアルノ川にでて、フィレンツェ最古の橋ヴ ェェッキオ橋には彫金細工店や宝石店が橋の両側にぎっしり並んでいて、異様な光景に出会います。
町の南東、ミケランジェロの「ダヴィデ像」の立つミケランジェロ広場に立ちますと、小高いこの丘から望むアルノ川に二分されたフィレンツェのバラ色の町並みとドゥオーモのクーポラが印象的です。フィレンツェのすべてが、この風景の中にあります。

6. ローマ
フィレンツェから高速道路を一気に約400Kmを南下してローマに到着。
ローマは2500年の歴史の舞台にふさわしいさまざまなモニュメントがあり、宝の山を前にしたようで、どこから見てまわるか悩むところです。
私がもっとも印象深く残ったところは、2000年の歴史を経て、なお堂々とたたずむローマのシンボル「コロッセオ」(その一、 その二)とカトリックの総本山「サン・ピエトロ寺院」(その一、 その二)でした。
それぞれ数葉の写真画像を挿入しておきます。

7. ナポリ
ナポリはローマから南200Kmにあります。

カプリ島などへのフェリー乗り場の近くのムニチーピオ広場には、緑の芝生に囲まれたヌオーヴォ城があります。四つの円筒状の塔をもつ城壁で囲まれていて、正面右二つの塔の間は、大理石のレリーフを施した凱旋門で、ルネッサンス様式の傑作です。

ナポリでの必見は国立ナポリ考古学博物館でしょう。ギリシャ・ローマ美術を収集した博物館で、古代都市ポンペイ、エルコラーノからの出土品が展示されています。古代都市出土の日常品から楽器や手術用具まで展示され、遠い2000年もの彼方へタイムスリップしたように感じます。

そのまま海岸沿いに行くと、左にヴェスーヴィオス火山、サンタ・ルチア湾、卵城がひとつに眺められ、一枚の絵のように美しい ところです。

7.1 ポンペイ遺跡
ポンペイはナポリから南東へ25Km。
2000年以上も前に栄え、ヴェスーヴィオ火山の噴火によって火山灰の下に埋もれてしまった町には、上下水道、スポーツジムや共同浴場、居酒屋、パン屋など、人間生活の基本的部分は現代とほとんど変わらない状態で残っています。

マリーナ門を入ると、右側にヴィーナスの神殿と当時法廷の役割をはたしたバジリカがあり、左側には48本のイオニア式円柱の並ぶアポロ神殿、さらに坂を上ると古代社会生活の中心地フォロがあります。


轍の跡が残るフォロ通りの石畳を歩いてゆくと、中世の都市街路に敷き詰められている花崗岩の10立方cmほどのブロック石パターンと異なり、ポンペイのそれは石を敷き詰めている目地が深く、かなり歩きにくく感じられます。それにしても車道と歩道、上下水道の整備など古代都市のインフラストラクチャーの整備は見事なものです。歴史の痕跡を踏みしめながら、古代のロマンと石の文化の感触を味あうことができます。

場内には悲劇詩人の家、牧神の家、ヴェッティの家など邸宅がそれぞれ独特な姿で残っています。
牧神の家はポンペイ最大の貴族の豪邸、広い玄関入り口には牧神ファウヌスのブロンズ像がおかれ、広々とした中庭が広がっています。
ヴェッティ� �家は牧神の家の裏側に接していて、巨大な富を手にした商人の豪邸です。風情のある列柱回廊を巡らせた大きな中庭を通り、奥の部屋には、たくさんのフレスコ画が壁面装飾として飾ってあります。これらフレスコ画のどれもがきわだって典雅な雰囲気を漂わせています。注目の「ポンペイの赤」は食堂にあり、鮮やかな艶紅色とよぶにふさわしい赤が特徴です。

ノラ通り、アポンダンツア通りやそれらの横道を歩いていますと、古代都市にタイムスリップし、古代ローマへ思いを馳せることができます。

その他、共同浴場跡、大体育場、大劇場、円形闘技場などなど一日かけても、とうてい見終えれないほど大規模な天然美術館といったところです。

8. マテーラ
ナポリの南南東約250Kmに位置し、アペニン山脈の南端をかすめ、丘陵地に入り、しばらく行くと、不思議な洞窟住居の町、マテーラに到着します。最初新市街に入ったときは、高台に築かれた近世の都市であり、イタリアのどこにでも見られる都市風景なのです。しかし、ベルヴェデーレ展望台に立つと、カテドラルを含めた洞窟住居群サッシが一望できます。寂しげに、しかも奇妙な色を映し出す建物群のある光景に、今まで見たこともなく、その光景に打ちのめされてしまいそうになりました。

この付近は凝灰岩におおわれ、その断崖や急斜面には、昔から人々が洞窟を堀こんで住居にしてきました。ここの凝灰岩はやわらかくて掘りやすく、しかも崩壊してしまうこともなく、また洞窟内にたまった水は吸 収してしまうという性質があるため、洞窟式の住居を設けるにはもってこいだったのだそうです。

この手の洞窟式住居群は、トルコのカッパドキア地方やヨルダンのペトラでも見たことがありますが、これほど大規模な住居群は初めてで、びっくりしました。凝灰岩独特の灰黄色の寂しげな風情がなんともいええない気分にさせられます。

8,9世紀にギリシャ正教の隠修士が住み着き、11世紀には勢力も衰え、無人化し、その跡に農民が住み着き、その後、世のなかが豊かになるにつれ、生活にゆとりができた人々は地上の普通の家に移り住み、サッシの人々は貧しい人ばかり、衛生状態も悪くなり、政府は新市街地にアパートを建て、追々移転させたそうです。そのためサッシはゴーストタウンと化し、一時は荒れるに任� �ていましたが、このような特異な洞窟住居の街は、地域の人々が築き上げてきた生活文化の貴重な遺産であるという認識が高まり、1993年に、ユネスコの世界遺産に登録されるに至りました。

かって農民が生活していた状況などが、洞窟住居の一角に展示してあります。
洞窟群の中には、昔使用していた元修道院サナントーニオが残っていて、天井に十字架、壁に聖像画が残っており、祭壇は農民の手によりブドウを押しつぶす容器に改造されている状況を見ることができます。

このサッシ群のある地区には教会が10ヶ所ほど建っており、イドリス教会は別名洞窟教会ともいわれ、岩の上部に十字架があるのが特徴。中は、ひんやり涼しく、壁にはいくつかのフレスコ画が描かれています。

9. アル ベロベッロ
マテーラから80Kmで、アルベロベッロに達する。なだらかな丘が波のように続く緑豊かな農村地帯を行くと、牧草地の中や、ブドウ、オリーブやアーモンドの畑が広がる丘の上に、白いキノコのようなトンガリ帽子の納屋が点々見え隠れする。そのうち、トンガリ帽子が三つも四つもくっつきあってできた建物もあらわれてきます。庭や門があるので、れっきとした住宅です。このような建物のことをここではトゥルッリといいます。

この地方にはトゥルッリがあちこちにありますが、なかでも約1400棟ものトゥルッリが立ち並んでいて、おとぎの国を観るような集落があるのがアルベロベッロです。
銀鼠と灰色が混じった石灰石の平板を何層も平積みした円錐形の屋根がユーモラスにぽこぽこと帽子のよう� ��載っています。その頂部には様々な形をした瀟洒な装飾塔が天に向かってのびています。しかもそうした住居が重なり合って集落を形成しているのですから壮観です。

連続する白い塗り壁と特徴ある屋根、開口部はほんの少しだけで、この外観からは想像もつかないですが、内部空間は豊かな住居となっています。


屋根の頂上の尖塔の装飾は、個性的造形を示していますが、一部の家では、円錐屋根の表面に何やら奇妙なシンボルマークらしい記号が白い石灰で画かれていることがあります。こうした装飾はトゥルッリの住民が長い間信じてきた一種の魔除けであり、宗教的意味合いがきわめて強いといわれます。

訪れた日はあいにくの小雨でしたが、メルヘンの世界に迷い込んだ錯覚にとらわれ、不思議な気分にさせられました。当日のスナップにメモを付しながら添付しておきます。
なお、この地区全体がユネスコの世界遺産に登録されております。

10. アルベロベッロからメッシーナ経由タオルミーナまで
アルベロベッロからメッシーナ経由、シチリア島のタオルミ� ��ナまでは約500Kmあります。時間の関係で、途中の見所を割愛して、ただ一日かけて移動しました。
途中、カラブリア州都コゼンツァで昼食をとりました。レストランは旧市街のド真ん中にありました。
深い緑の山に囲まれたこの町は、安定感のある近代的な新市街と、特筆すべき建物群が現存するアラゴン町の趣の旧市街に分かれており、背後の丘からは古城が厳粛な姿で街を見下ろしておりました。機会があれば、是非一泊したいところです。

コゼンツァからさらに南下し、ティレニア海の美しい海岸風景が見えてくると、ブーツ型をしたイタリア半島のちょうど爪先の部分にあたるレッジョ・ディ・カラーブリアに到着。ここはメッシーナ海峡を挟んでシチリア島と向かいあう町です。ここからフェリーで対岸のメッシ� ��ナへ約40分。シチリアは大きくシルエットとなって長く横たわっていました。

メッシーナからおよそ47Km南下すると、タオルミーナです。もともとシチリアは柑橘類の特産地であるばかりでなく、すべての植物を受け入れる快適な環境を持っています。竜舌蘭、サボテン、アカンサス、パピルス、トマト、ブドウ、オレンジ、レモン、アーモンド、チェリー、リンゴなどなどが豊富にどこでも見られます。

11. タオルミーナ
タオルミーナは青く輝くイオニア海とエトナ山を一望する風光明媚なイタリアを代表する保養地です。
タオルミーナは標高398mのモンテ・タウロの岩山の急斜面にへばりつくように、白い家々が群れているところで、七曲がりの急坂を上ると、町の入り口、メッシーナ門に到達。その奥� ��等高線に沿った緩やかな華やかなメーン通り、ウンベルト通りがあります。これと直交する路地は皆急な石段か坂道になっています。

この町一番の見所は、ギリシャ時代の野外劇場でしょう。紀元前3世紀に建造されました。観客席は岩山の斜面を巧みに利用してあり、直径は109m。何より素晴らしいのは観客席からの眺めで、正面の舞台には円柱がそびえ、右手にはエトナ火山がそびえ(訪問当日は曇りで見えませんでしたが)、左手には優美な弧をえがいて白い海岸線が延び、緑の山野と紺碧の海をくっきり分けています。野外劇場のまわりには、巨大なサボテンや竜舌蘭、ブーゲンビリヤなどが生い茂り、四季折々に花を咲かせて、雄大な景観にいっそうの趣を加えております。

この野外劇場は紀元2世紀に改 造されて、すっかりローマ風になってしまいました。円形闘技場に改築され、「剣奴と猛獣の闘い」を見せるために、地下から猛獣をせり上げる装置を設けてあった跡も残っています。

メッシナ門を入ってすぐのヴィットリオ・エマヌエーレ広場の北西側にゴシック式のパラッツオ・コルヴァイアがあります。このパラッツオは貴族の邸宅ではなく、市の集会場として造られたものです。中庭には天地創造をテーマにしたゴシック時代の浮彫があります。このパラッツオの左側には17世紀にできたサンタ・カテリーナ教会があり、その背後にギリシャ時代の神殿の石段と、ローマ時代の音楽堂の遺跡がわずかに残っております。
ウンベルト通りを歩くと、中程に4月9日広場という見晴らしのよいテラスが広がってお� �、この付近の山側には古い館や教会、時計塔などが残り、中世の雰囲気を残しています。

12. パレルモ
タオルミーナからギリシャ・ローマ時代の遺跡が残り、作曲家ベッリーニの生まれた文化の町カターニアを経由し、約260Km、オリーブや柑橘類を栽培する農業地を経過し、パレルモに到着。

パレルモの旧市街には16世紀まで市壁の領域を示す城壁がありまして、それに対して縦軸にマクエーダ通り、横軸にヴィットリオ・エマヌエーレ通りの交差する位置にクアットロ・カンティ「四つ角」と呼ばれ、中心地となっています。16世紀末シチリアがスペイン領だった頃に誕生した交差点です。この角に立ってバロック式の荘重かつ重厚な建物は、四つの建物すべてデザイン的に共通性を持たせ、都市空間とし� ��の表情と特徴を強める工夫がされています。

クアトロ・カンティのすぐそばに、噴水のあるプレトーリア広場があります。ここには30を超える彫刻がおかれ、エレガントでなまめかしい彫刻群です。これで、アラブ色のこいパレルモにルネッサンスの作例が並ぶこととなりました。


ここ旧市街は異文化の混沌とした歴史が染みついたといえる地域で、紅柿色のキューポラスの連続する見慣れない風景、サン・カタルド教会です。これこそ典型的なアラブ様式を象徴するドームであり、パレルモならではの魅惑的な建造物です。
これと並んでマルトラーナ教会が建っています。内部の壁は金色に輝くモザイクで覆い尽くされ、礼拝堂と並ぶシチリア最古のビサンチン様式で、息をのむすばらしさです。中央に「全知全能の神キリスト」をいだき、その周りを大天使や預言者、聖人などが取り囲む構図になっています。ここはノルマン時代の遺産としてしっかりと残されています。

旧市街横軸のヴィットリオ・エマヌエーレ通りの終点に、ノルマン王� ��があります。11世紀アラブ人が築いた城壁の上に、12世紀にノルマン人が拡張、増改築してアラブ・ノルマン様式の王宮となりました。内部2階にパラティーナ礼拝堂が12世紀の往時をしのばせる風情で残されています。

またパレルモには、ヨーロッパ有数のオペラの殿堂、マッシモ劇場があります。ネオ・クラッシクの堂々たる劇場で、客席数3200、ヨーロッパでも屈指の規模を誇っています。

13. モンレアーレ
パレルモから南へ8Km、標高310mのカプート山上にあります。この町の特徴は、イスラム、ビザンチン、ロマネスクの影響を受けた魅力的な建築物に出会え、まさに地中海の十字路としてのシチリアを感じます。

町の中心広場に位置するドゥオーモは1174年、グリエル2世によって� ��てられました。ドゥオーモの内部には旧約、新約聖書の挿話とノルマン王の物語をネープルス・イエローの世界に浮かびあがらせているモザイク画があふれています。特に祭壇正面の、手をひろげた見事なキリストのモザイク画には圧倒されます。それはまさしく黄金のモザイクがここを訪れる人々すべてを両手で包み込むように出迎える姿でした。

ドゥオーモに隣接するベネディクト派修道院の中庭の回廊は、アラブとビザンチン様式を採り入れた価値のあるものです。しかも回廊に屋根がかかり、内外の光のコントラストによって奥行き感の妙味が かもしだされています。対になった228本の回廊を巡る円柱一本一本には独特の幾何学模様が施され、柱頭の躍動感ある彫刻は宗教上のテーマや世俗テーマが交互に� ��られ、それだけ見ていても飽きることなく回廊を一周できるようになっています。

14. アグリジェント                              
パレルモから南へ約120Kmにあるアグリジェントは、地中海から数キロにわたってせりあがる斜面に古代ギリシャの壮大な神殿群の残る町です。
主な神殿だけでも五つあり、すべてドーリス式で、駐車場をはさんで東群と西群に分かれています。

まず東群のヘレクレス神殿はアグリジェントの神殿群のなかでも最も古い紀元前520年の建造。現在は8本の柱だけが残されているが、もともとは、基壇は25.3x67m、正面6柱、側面15柱、柱の基部は直径2m、高さ9.9m。平面プランが細長く、アルカイック時代の古式をよく伝えています。いかにもアル� �イック時代の神殿らしく、素朴で剛直な感じがジーンと伝わってくるような思いがします。

次はコンコルディア神殿。紀元前425年頃、つまりアテネのパルテノン神殿よりほんの少し後に造られ、ギリシャ本土で完成の極致に達したクラシック様式のよく均整のとれた美しさを見事に表現しています。ヘレクレス神殿より だいぶ小さく、基壇は16.6x39.4m、正面6柱、側面13柱、柱は基部で直径1.4m、高さ6.8m。それにしても見事なプロポーションがそのまま残ったことに驚くばかり。これほどよく原形をとどめているドーリス式神殿は少ないそうです。

ヘラ神殿は、神殿の谷の東端、標高120mの丘の頂点に立ち、紀元前460年頃の神殿跡。他の神殿と距離を置いているので孤高な姿にも見受けられます。現在は大地震で壊れ� ��34本あった柱のうち25本と軒まわりの一部が残っています。

西群神殿の主役はゼウス神殿です。紀元前480-470年以降に建造され、未完のうちにカルタゴによって破壊され、後に大地震でゆさぶられ瓦礫の山となって残っています。ただ基壇(112.6x56.3m)だけが残っています。

規模があまりにも大きく、しかも石材の多くが運び去られているため、現場に立っても、この神殿の往時の全容を想像することは難しい。瓦解した岩の中に、U字型の溝があるものがありますが、これは運搬時に麻紐をかけたものです。柱と柱の間は石壁でふさがれ、石壁の上部のくぼみに巨大なテラモン(人像柱)の立った構造で、ギリシャ神殿の定石と異なったデザインだったそうで、壮大な規模の大神殿だったと思われます。

この神殿から広大な瓦礫の中を進むと、神殿の角の部分だけが目に入るディオースクリ神殿があります。紀元前5世紀末に建てられたものですが、カルタゴ軍や大地震で倒壊し、19世紀の中頃に、四本の柱と軒まわりの一部だけが再建されました。

以上、ミラノから長靴の形のイタリア半島を約3000Km走破してきました。紀元前の古代ギリシャの遺跡から中世キリスト教の荘厳な建造物を見ながら、2000年以上の長い歴史を短期間ですが、かいま見ることができました。

[ 以 上 ]



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